中国の歴史といえば!
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唐(とう/から、英:Tang Dynasty、618年 - 907年)は、中国の王朝。李淵が隋を滅ぼして建国した。「唐」の字義は「ひろい、おおきい」をさす。7世紀の最盛期には、中央アジアの砂漠地帯も支配する大帝国で、朝鮮半島や渤海、日本などに、政制・文化等の面で、多大な影響を与えた。日本の場合は、遣唐使などを送り894年に菅原道真の意見で廃止されるまで、影響を受けた。
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国号
国号の「唐」はもともとは晋の古名であり、もとは山西省を中心とする地域を指した。古代には堯が建てたといわれる伝説上の王朝「陶唐」があり、周の時代には武王の子・唐叔虞が立てた晋の別称としての唐とは別に、今の湖北省の一部に唐を国号とする小国があったことが知られる。唐の滅亡後、五代十国時代には李存勗の後唐、十国のひとつ南唐などが唐の後継者を自認して唐を国号としたこともあったが、いずれの皇帝も唐室の血は引いていない。
李氏
唐王朝の李淵が出た李氏は、隋の帝室と同じ武川鎮軍閥の出身で、北魏・北周以来の八柱国・十二将軍と称される鮮卑系貴族の内、八柱国の一家として隋によって唐国公の爵位を与えられていた。のちに、隋から禅譲を受けて新朝を立てるという易姓革命の手続きを踏んだ際に、この爵位にちなんで唐を国号とする。
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『旧唐書』・『新唐書』によれば、李氏は李耳(老子)の子孫と称し、西涼の初代王・李暠をその遠祖としている。北周に於いて鮮卑への復古政策が行われた時に、李氏は北周より大野(だいや)と言う姓を与えられ、一時的にこの姓を名乗る事になる。ただし唐李氏の系譜についてはこの西涼の李氏とは繋がっておらず、唐李氏は鮮卑系であるとの見解が戦時中に日本の宮崎市定[1]によって出され、以後日本学界ではこの考え方がほぼ定説となっているが、中国学界からは「日本軍の中国支配のために持ち出された論説である」と批判されている[2]。
(以上、ウィキペディアより引用)
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